FTM オーストラリアから帰国 なおたろう

生まれたときは女の子現在男の子として生きてます。帰国しました。

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認知症は深い

 

Hello〜!

How r ya??


みなさんお元気でしょうか?

なおたろうです。

 

 

日本の老人保健施設、略して老健で約6年間働いていた私ですが、今回認知症について記事を書きたいと思います。

 

 

認知症の方と触れ合ったことがない方は認知症の方がどんな行動をとるのか、またどんなレスポンスをしたほうがいいのかイメージがなかなか湧かないかと思います。

中にはおばあちゃん、おじいちゃんが認知症だからなんとなくわかる方もみえるかなと思います💪😁

 

 

ネットで調べたら認知症に関する記事はたくさんでてきますが、病名と症状が専門用語で並べられておりわかりにくいかと思うので実際に経験したエピソード形式で書いてきます😉

 

※年齢はみんな80歳以上だと思ってください。

年齢はそんな関係ないです。発症してから何年たってるかが関係します。

ケース①

Fさん 女性

子供時代に戦争を経験しておられたみたいで、外で消防車のサイレンがなると、わぁーーーーっと叫び出して部屋のベッドの隅に隠れていました。

戦争が終わった事を伝えても、本人は幼い頃の怖い記憶が残っていますのでサイレンの音を聞くと隠れなければならないという意識が出てしまうんでしょうね。

ここで、戦争が終わった事を伝えて、やめなかったとしても無理やり外に出そうとするのはNG...落ち着くような声かけをして、本人が落ち着くまで見守っててあげる。

 

 

ケース②

Yさん 女性

こちらの方は即時記憶がほぼないかたで、5分経ったら全部忘れてしまいます。

僕 [おはようございます]

Yさん[おはようさん〜!]テンション高い系おばあちゃん。

僕 [はじめまして、僕------です!]

Yさん [あー、あんたどこの子?]

僕 [僕はA地区に住んでます!]

Yさん [A地区?ほんなら西川先生知っとる?]

僕の心の中(西川先生?だれそれ?)

僕 [ちょっとわからないですね〜。だれですか?]

Yさん [私のいとこでね、学校の先生やってこざるで]

僕の心の中(いや、そのクイズはムズすぎる!)

僕 [あー、そうなんですね!]  

Yさん [ほんであんたどこの子?]

僕 [!!!!!!!!???]

その後、このやり取りを繰り返します。とっても可愛らしいおばあちゃんで、いっつも明るくて、歌を歌うのが大好きなおばあちゃん。文句も言わないし、ご飯もしっかり食べてくれる方でした!3.4年経ったら認知症が進行して食事中、お茶やご飯を床に捨てる行動が多くなりご飯をご飯と認識できなくなってしまい、経管栄養になりました。

夜勤中怖かったのは、夜中にYさんが起きてきて、転倒リスクがあるので車椅子に乗ってもらい見守りがてら2人でステーション前でお話ししていたんですが、

「あんたの後ろにおる男の子だれ?あんたの子?」といきなり言われて回りみても誰もいないんですよ。

「誰もいないよ。ほら。」

「おるがね!そこに!」

めっちゃ怖くなっておばあちゃんに抱きつきました😂

認知症には妄想、幻覚の症状もあるので本当になにか見えていたのかは分かりませんが。怖い。

 

ケース③

Kさん 女性

この方は当時96歳とかで、歩行器を使って歩行できる方でした。会話は難しいけど意思疎通はできるかたで、物を見せればそれはなにをするためのものなのかは分かる方でした。

例えば10時に配るお茶をみせて、お茶飲みませんか?と聞けば「ありがたいありがたい」といって飲んでくれますし、昼ごはんですよーと出したらご飯だと認識して食べてくれます。

ただ、ご飯のメニューで黒胡麻がかかっている料理はたまに蟻がはいっとる!といっていつも残していました。熱を出したときは幻覚がすごくて部屋にご飯を持って行ったとき、床を指差して「蟻がいっぱいおるで!踏んだらあかん!外からゾロゾロはいってきとるわー。なー?あじゃまー!」と言ってました。

結局そのときは蟻に夢中でご飯は食べてくれませんでしたが、時間をおいてまた持っていったら食べてくれました☺️
夜中になると徘徊が始まって意味もなく歩行器で病院の廊下をぐるぐる回って扉があると扉をバンバン叩いて部屋に戻るという行動が見られました。この場合も、夜中なのでベッドで寝ませんか?ときいて、本人が落ち着くまで見守ります。

 

ケース④

Yさん 男性

こちらの方は認知症と精神病を持っておられる方で、施設に入居する前は奥さんがYさんの介護をしてみえたのですが、奥さんが亡くなられて子供もいなかった為施設に入居して来られました。お金の管理とかは姪っ子さんがしていました。

感情の起伏が激しくてとても落ち着いている日もあれば、すぐに怒る日もあって難しい方でしたね。

入居してきたばかりの時は奥さんを亡くして気分が落ち込んでみえ、周りのスタッフみんなで話を聞いたり励ましたりして元気付けしていました。そこから、肺炎の治療のため病院に転院になり2ヶ月後再び再入居。そこからまた症状が変わりレクレーションに誘っても部屋で寝たいとのことで一日中食事以外はベッドで横になってることが多くなり、トイレも誘っても今はいいと言われ。無理に誘うと急に怒り出し暴力や暴言があったためなかなかトイレに行けずに、パンツを汚してしまったり、、、。

汚れているから着替えをしましょうとお誘いしてもほっといてくれ!と暴れられて殴られながら交換したり。唯一、理学療法士の女の子には優しくてその子に誘ってもらいトイレやお風呂になんとか行ってもらっていました。

そこから徐々に妄想が激しくなり、本人は野球チームの監督の設定で、男のスタッフは敵の野球チームの監督という設定になってました。

Yさん [お前んとこのチームは何位や?]

僕 [いま最下位位なんですよー。]

Yさん [嘘つくな!今1位やないか!]

僕 [こないだの試合でYさんのチームに負けたので最下位になりましたよ!]

Yさん[嘘をつくな!俺はなんでもしっとるぞ!]

 

またある時はダンロップのジャケットを着てみえたのでその上着かっこいいですねというと

Yさん[そうやろ。これはな、長嶋監督が引退したときにもらったんや!]

僕[そうなんですか!それはもう宝物ですね!]

僕[プロ野球選手の清原って知ってますか?]

Yさん[おう、あいつはおれの同期や!]

僕[すごいですね!清原が同期なんですか!]

なんていう会話も😄

 

そして、そんな状況の中ある朝いつものように朝ご飯にお誘いして、ご飯を配った瞬間

急に怒り出して、ご飯のトレーをおりゃあああっとひっくり返られて朝ごはんにパンがくえるかーーーー!と興奮されてしまいました。

皿がが床に落ちた音で周りの利用者さんは怖がってしまい、また、Yさんは割れた皿を握って僕たちに敵意をみせていて、手からは血がでていましたし、どうしたらええんや、、、。

 

毎週水曜日と日曜日は朝ご飯がパンだったんですが、今までずっとパンに対して不満を言われたことがありませんでした。もし、パンが嫌いだったとしてもご飯を提供できます。

 

 

そこで、たまたまベテラン看護婦さん登場!

一度Yさんにお部屋に戻って頂き2人で落ち着いて話す。

その後、食堂にもどってきて、

Yさん[おれの飯はどこや!!!]

看護婦さん[Yさんがひっくり返したので床に落ちてます。もうひっくり返さないと約束してもらえるなら厨房に頼んでもう一度持ってきてもらいます。約束できますか?]

Yさん[おう、わかった]

 

厨房の人にもう一度朝ごはんを持ってきてもらう。

看護婦さん[はい、朝ごはん持ってきましたよ]

Yさん、おりゃあああっともう一度ご飯をひっくり返す。

その場にいたスタッフ全員、目が点になり、驚きを隠せない。なるほどそうきたか。

 

 

Yさんの興奮状態は収まらず施設長も来て、そのまま精神病院に転院になりました。

姪っ子さんにも態度は変わらず暴言、暴力があり、うちの施設ではみるのは難しいと施設長から判断されこの結果に至りました。

 

 

僕らは認知症になったことがないので、気持ちを理解するのは難しいですが、認知症の患者さんの世界では、それを真実として見ていますので違います、間違っていますと否定しても理解できません。共感して、責めないことが大事。

 

以上、僕の体験エピソードでした!